Shun Oshima

マインドフルネス指導者&フォトグラファーとして活動中。

■マインドフルネスインストラクターとして
脳科学や心理学、生理学、禅といった様々な分野を通して、マインドフルネスを学び日本国内にてパーソナルレッスンを中心にその人に応じたオーダーメイド型のレッスンを展開。
また不定期にグループレッスンも開催しており、
マインドフルネスを1人でも多くの人に伝えることで、
日々の息苦しさや、その人が持っている目標(ビジョン)の達成のサポートに取り組んでいる。

■フォトグラファーとして
ウェディングや風景、ポートレート

記事一覧(227)

本音を気持ちを伝えることの大切さ

■禅語:単刀直入(たんとうちょくにゅう)○単刀・・・1本の刀のこと○直入・・・その刀を持って相手の陣営に切り込んで行くこと誰か相対する時に、遠回しではなく、相手の懐に直接ストレートに本質的なところを素直に伝えて行く。ということが単刀直入の意味で現代でも使われるようになりました。元々はたった1本の刀を持って相手の陣営に飛び込んで行く、肝心な時に肝心な人との人間関係において単刀直入の会話をするといった単刀直入のコミュニケーションを取るということが今の時代はとても少なくなって来てしまっているように感じます。「相手に嫌われたらどうしよう?」とか「もっと自分はこう見られたい」といった相手の顔色を伺うことが先行し過ぎてしまって、その時にするべき本質的なことや伝えるべき相手に、相手の懐(中心)に向かってストレートに伝えていく。そういったことが行われないように思います。相手の顔色を気にしすぎて、伝えたいことをまっすぐ伝えないことで主に人間関係において様々な場面(仕事とかプライベートなど)でも曖昧な関係が続いてしまい、その結果、あいまいな結果しか出ない。というようなことが起きているように思います。私たちは誰かと相対する時に、いつも自分の外側に飾りをたくさんつけて、そしてその本質と本質がぶつかり合うというような関係を築くことを遠慮したり嫌ったりします。(特に日本人はそこが弱いふうに思います)一生懸命、自分をこうしたい。よく見られたい。と自分の周りに飾りをたくさん作って、そして相手も同じように飾りをたくさん作って、お互いが狸と狐の化かしあいのような会話をしてそしてサラッと終わってしまう。そういう中で相手の中心部、核となる部分にまさに単刀直入にズバッと切り込んで来るような質問、ズドンと切り込んでくるような意見や思い、というものを相手に伝えていくということをする人たちが本当に少ないように感じます。単刀を持って相手に切り込んで行くと、普段はクールに装っている人でもその人の本性、本音、本質が出てきます。そしたら「この人は本質を突いて来たな~」となり相手も単刀を持ってあなたに相対せざるをえない状況になります。=相手を認めざるを得ない ということが起きます。もちろんいきなり会った初対面の人に失礼な言い方や失礼な態度は嫌われてしまいます。でも、いつも誰かと接する時にその「本質的な話しをするんだ」表面的な話しをするのではなく「この人の真ん中に思いを伝えたい」「この人の真ん中に問いを投げかけたい」とそういうつもり、姿勢で人と接する。単刀直入の短刀を常に脇に控えて、人と話しをする。仕事の交渉をする。はたまたは恋愛をする。そのような姿勢を持つことで、相手があなたに対して「なんかあの人、忘れられない」「印象に残っている」「本質的な人だな」といったことを相手も感じて来るようになります。単刀直入相手の本陣に刀一本で切り込んで行く。つまりは相手の中心に対して、自分の思い、自分の問い、自分の意見や考えをストレートに伝えて行く。。いざという時の人と人との会話の中や人間関係においてこれを持っている人と持っていない人とでは大きな差が生まれてくるのではないかと思います。ぜひ、単刀直入力を磨いて行きましょう!shun

心配は大いにしよう!

心配は大いにしよう!「心痛はしてはならぬ。が、心配は大いにせよ!」と言葉を残したのは元臨済宗妙心寺派の高僧、山本玄峰師の言葉です。『心痛』と『心配』は違います。考えても仕方のないことで悩むのを「心痛」といい、これは苦しいばかりで何の意味もありません。一方、「心配」は心を配って考えて、何とかしようと悩みと向き合うことです。この「なんとかしよう」と向き合う過程こそが自分自身を磨く糧となるのです。結果には執着しません。心配は大いにしましょう。玄峰さんは和歌山出身の高僧で、若かりし頃に目の病に苦しみ、治癒を願って四国遍路をされたそうです。その最中に行き倒れてしまいましたが、その場所で救われたことがきっかけで得度されました。(※得度=悟りの世界にわたる(度)こと。いわゆる出家。)心配することをネガティブに捉えたり、批判される方もいらっしゃいます。過度な心配によって身動きが取れなくなったり、そのことでご自身の感情や気持ちが荒ぶったり、ネガティブな方向に行くことは確かに良くありません。まさに心を痛める行為ですよね。ただ、心配は「心を配る」と書きます。冒頭にも書いたように心を配るということは、その状況をなんとかしようと悩みながら、試行錯誤しながらも行動に起こすことです。行動を起こしさえすれば心は今に向きます。今に向いている心の状態というのは囚われのない状態を指します。囚われのない状態で行動を起こすことがベストパフォーマンスに繋がり、結果としてより良い結果を招きやすいとも言えます。「禅語」とは文字通り禅の言葉。禅宗の文献に記述された辞のことを言います。禅とは何かを知り、その教えを理解し、行うことは到底容易いことではないかもしれません。でも、禅は私たちが生きていくうえで大切なヒントを与えてくれます。情報社会になり、人との繋がりが容易に持てるようになった分、良くも悪くも人間関係も価値観も複雑化、格差も広がり、ある意味、悩みやすくなったり、考え込みやすくなったり、少々の息苦しさを感じやすい世の中になりました。そんな時こそ禅の教えに立ち返り、今一度シンプルに生きる術を教えてくれるのが禅の心構えです。マインドフルネスが再び脚光を浴びてきているのも今の時代背景があるからと言えます。但し、1つだけ大切なことがあります。「禅の教えは文字で伝わるものではない」ということです。これは実際にお釈迦様が修行僧に伝えた一言だそうです。「文字で伝わるものではない」という意味をもう少し詳しく説明すると、お経の言葉から離れて、お釈迦さまのようにひたすら座禅をし、身体で体験することで悟りを実感しなさいということです。また、「悟りの境地は言葉で説明することができない」という意味も込められています。考えこんでしまい、手も足も出なくなることありませんか?そんなときには言葉でなく、身体で実践することが大切、ということですね。何事も身体を使って実践して初めて、身になるものです。shun

そばにいてくれる人を大切にする、一期一会という言葉。

『一期一会』(英語では・・・Once in the lifetime)この言葉も実は禅語の1つです。今は四字熟語として浸透していますが、元はお茶の世界でとても大切にされて来た、禅から生まれた言葉なのです。今あるこの出会いを大切に。という意味合いですが、【一期】・・・人が生まれてから死ぬまでの間のことを指します。【一会】・・・人との出会いはもちろん、物事にたいすることも指します。出会いの機会のことを言います。一服のお茶を立てる時に「もうこの人との出会いは2度とない」という思いでお茶をたてる。つまりは真剣に、心からの思いを込めてその人との出会いを大切にして接する。という姿勢を求められることからこの言葉が生まれました。華道(お花の世界)でも同じことが言えます。たった一輪の花を花瓶に生けるのに、その花の命は長くはないですよね。でもその長くない命の花を今この瞬間、最大限輝けるように、見る人を癒やすためにその花が持っている美しさを惹き出して行く。永遠に続かないからこそ、「今この瞬間瞬間」を大切に、物との出会い、人との出会い、出来事との出会いや機会、これらを自分の持っている最大限を尽くしてこの機会を大切にしていきたい。この姿勢が一期一会です。この一期一会を感じる機会が多いのが旅ですよね。旅先で出会った人、飛行機でたまたま隣だった席の人、カフェで相席になった人やお店の人・・・色んな出会いがあってその当時の人と今も交流が続いていたり、人生に変化を与えてくれたり。なんてことは少なくはない話しです。僕自身も旅が好きなのでこういった機会はよくあります。でも、大切なのは旅先で出会った人や滅多にない機会で出会った一期一会だけではなく、日常生活において当たり前のように接している人たちにも対して同じように接することができるか?ここがとても大事なことです。普段、いつも一緒にいて当たり前に思っているパートナー(奥さんや旦那さん)普段、いつも一緒にいて当たり前に思っている親子普段、いつも一緒にいて当たり前に思っている職場の上司や部下、同僚普段、いつも一緒にいて当たり前に思っている友達や恋人などなど。。。もしこれらの人と1年に1回しか会えない。ということであれば、お互いが気を配ってとても気持ちの良い思いでこの出会いというものを最大限に実りあるものにしていこうと努力と工夫をするかと思います。でも、これをいつも自分のそばにいてくれる人にはなかなか行えませんよね。一期一会の教えというものは、普段当たり前のように一緒にいる人たち。こういう人たちに対して一期一会の思いを持って接することができるかどうか?というところにあります。人生は長いようで、短いです。30年、40年、50年あっという間に過ぎていきます。みなさんも今日という日まであっという間ではなかったですか?当たり前のように一緒にいる人が、もしくは自分自身が明日、突然この世からいなくなることだってあります。一生の中で人との出会いやその人と過ごす時間というのは、命という時限(レベル)から観ると本当に一瞬の出来事です。この一瞬の中で身近なところで出会った人たちにもこの出会いというものを1年に1回・・・10年に1回にしか会わない人の如く、普段の生活の中で一期一会の思いを持って身近な人に接することができるかどうか。これが禅語、一期一会が私たちに問いかけてくる本当の意味です。とは言えです!普段当たり前に感じていることは当たり前に感じるのが真っ当な人の感覚です。なので時々でいいのでこの一期一会という言葉を思い出して、「そうだ!この人とは一期において一会しか会えないという関係なんだ」と普段から接している人に対して思った時に相手が変わらなくとも、自分自身のその人に対する感覚や見方が180度ガラッと変わります。一期一会の思いを持って相手に接することで、自分自身が変わります。そうすることで周りの人間関係がより良好になる。そんな素敵な体験をされることだと思います。一期一会・・・ぜひこの思いを自分自身のすぐそばにいてくれる人たちに対して始めてみてください!shun #マインドフルネス

「挨拶」はなぜ大切なのか?

「おはよう!」「こんにちは!」「初めまして!」「お疲れさま」「おやすみなさい」毎日欠かすことなく皆さん発しているこれらの言葉、挨拶。皆さんが普段何気なくしているこの挨拶、なぜ挨拶が必要なのか?大切なのか?って考えたことあるでしょうか?人間関係の基本でもあるこの挨拶の本質を今日はお伝えしたいと思います。「挨拶」は実は元々、禅の言葉になります。(いわゆる禅語)その当時(今もですが)、修行僧同士や和尚さんと弟子の関係の中で、お互いの悟りの境地(修行の進み具合)を推し測るために挨拶はありました。つまり、挨拶とは押したり引いたり。ということです。人というのは必ず、働きかけられたことに対して”反応”をします。例えば、このブログの読者さまが家族や友人、職場の人に「おはよう!」と言ったとしましょう。そしたら元気よく「おはよう!」と返してくれる人もいれば「おはよー」とボソっと言う人、そして「無視をする」人もいるかと思います。元気に返してくれる人も、元気ない感じで返してくれる人も、無視をする人も・・・これら全て皆さんが相手に対して投げかけたことに対して反応をしています。(聞こえてるか聞こえてないかは別として)無視をするという行為も、相手から与えられたことに対して無視をするという反応になるのです。だから仮に無視をされたとしても皆さんに問題はないので、必要以上に気にしたり心配しなくて大丈夫です!(無視をするかしないかは相手の選択であって、あなたの問題ではありません。)このように挨拶とは、人と人が関係を築き上げて行く中で「相手が今、どのような状態なのか?」ということを知るためにとても大切なことなのです。(ボクシングで言えばジャブのようなもの。ジャブで相手の反応をみているのです)人の心というものは移ろいやすいもので、毎日状態が違います。気分良く朝を迎える人もいれば、気分悪くその日を始める人もいるわけです。でも、どうせその人と生活を一緒に過ごすであったり、仕事を一緒にするのであれば最初にその人がどういう状態に今あるのか?ということに決してこちらが合わせるということではなく、どういう状態のあるのか?とこちらがより良く相手との関係を繋ぎ、築いて行くという積極的な方法として、人間関係の基本に挨拶が大切だと言われる所以(ゆえん)になります。挨拶・・・これは相手の反応を推し測るもの。これが禅から始まった元々の意味です。時々「なんで挨拶ってしなきゃいけないの?」って子どもたちが言うことがあります。それは、自分がより良い人間関係を築いていくために有利になれるから。です。例として、武道の稽古の中では何度も何度も挨拶をします。僕であれば昔やっていた少林寺拳法でも同じです。同じ相手でも、組み手が変わっても「お願いします!」と挨拶を何度もします。「さっき挨拶したやん」なんてことは絶対に言わないし、そうなりません。格闘技やスポーツでもそうですが、礼儀云々以前に、組み手前、試合前の挨拶など勝負の世界に生きる人たちにとっての挨拶というのは、挨拶を通して相手の力を推しはかったり、相手の出方を伺ったり、自分自身が戦略を立てたり・・・といったことが積極的にできるので挨拶をします。人間関係を良好にしていくためにとても大切なキーワード・・・それが挨拶。それは・やらなければいけないから・ルールだから・そうしなければ気持ちよくなれないから・礼儀だから・人として当たり前だから・・・ということではなくて、相手の反応をおしはかる。そのために自分から積極的に1つの戦略として挨拶をしていく。これが元々の古来から伝わる禅の挨拶の意味です。だから相手よりも早く、先に挨拶をする人の方が人間関係においてより有利に、良い関係を色んな人たちと築いていけます。ある第三者機関によれば、朝に相手の目を見て職場の人たちと明るく挨拶をする習慣がある組織とそうでない組織と比較して、チーム内の雰囲気はもちろん、業績に置いてもかなりの差が出たことがわかったそうです。ここまで読んでいただいた上でどうでしょうか?挨拶に対する解釈、捉え方が少しは変わったんじゃないかと思います。みなさんは直前にまで起こった不快なことに囚われて、今目の前にいる、そのことに関係のない家族や友人、パートナーに対して不貞腐れたまま挨拶をしますか?それとも挨拶をキッカケに気持ちを切り替えるスイッチにして前向きになり、今という瞬間を目一杯楽しみますか?どちらを選ぶもあなたの自由です。ぜひこの瞬間から挨拶を味方につけて、日々意識して過ごしていってみてください!マインドフルネスインストラクター shun

ストレス耐性を身につけるために

ストレス耐性がある人とそうでない人、その差はどこで生まれるのでしょう?過去にどれだけ辛い経験をして来たか?修羅場をくぐって来たか?死にそうになった経験をしたか?ブラック企業で耐え抜いて来たか?失恋を多くした?・・・それらも一理あるかもしれません。だけどもっともっと理論的に今日はお話ししましょう。特に小さなお子さまがいらっしゃる方は今から接し方を心がけることで、大人になってからのストレス耐性が強くなることが期待できます。■そもそもなぜストレス耐性の個人差が出てくるのか?これは脳にある【扁桃体】と呼ばれる領域の感受性の強弱と言われています。扁桃体は情動反応の処理と短期的記憶においての役割を持ち、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)や直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に不安や緊張、恐怖反応において重要な役割も担っています。そのため「脳の警報装置」とも呼ばれています。扁桃体に関しての詳細は僕のレッスンの中やまた別に綴ろうと思いますが、緊張したり、日常生活の中でヒヤッとしたり、夜道を一人で歩いている時などに感じる恐怖などはこの扁桃体が働いていて、自分自身の身を守ろうとしてくれています。この扁桃体の機能ですが、実は機能は遺伝や幼少期の経験である程度は決まると考えられています。ある研究機関の結果によると、乳児期にスキンシップや声掛けなど母親から受けた愛情が多ければ多いほど大人になった後にストレス耐性がより強いことが分かったとされています。遺伝や環境に加えて家庭や生活環境もストレス耐性に影響を与えるのです。■子どもの頃からストレス耐性を高めるために上でも書いたように乳児期からの親からの愛情をどれだけ注がれたかで、大人になってからのストレス耐性に差が出ると考えられています。これも脳科学の研究で明らかになっていますが、子どもは生まれてから3歳までに80%、6歳までに90%、12歳までに100%、 の脳が完成すると分かっています。ストレス耐性もそうですが、人格であったり、何かの分野に対する得意不得意などもおおよそ3歳までにその先の方向性が決まるとされています。ので、お子さまがいらっしゃる方々はぜひ、より多くの愛情を注いであげてくださいね!■自分の努力でもストレス耐性を高めることはできるとは言え、脳は唯一大人になってからもある程度鍛えることのできる部位です。ストレス耐性を高めるための方法をいくつかピックアップします。①コーピングコーピングとは自分だけのストレス解消法を書き出し、ストレスを感じた時にそれらの方法を実施し、その効果を体感しておくというもの。どんなストレスを受けた際にどの解消法が効果的だったかを把握しておくことでストレス解消がスムーズにできる。それによってストレス耐性の向上にも繋がるというものです。②食事精神安定効果のあるカルシウムや体内の神経伝達物質の生成に大きな役割を果たすビタミンB6、神経細胞を強くするビタミンB12などが、ストレス耐性をつけるのに役立ちます。これらがバランスよく含まれるのがイワシやニンニクなどになります。<ビタミンB6>野菜類(とうがらし、にんにくなど)穀類(米ぬか、小麦胚芽など)魚介類(まぐろ赤身)<ビタミンB12>魚介類(さけ、イワシ、うなぎなど)貝類(しじみ、あさりなど)藻類(のりなど)肉類(特にレバー部分)普段の食事の中に上手くこれらを取り入れてストレス耐性を向上させましょうね!③運動運動は脳のストレス耐性を高める効果があります。軽めのジョギングやウォーキング、階段を使うなど、少しずつでも運動を習慣化しましょう。軽めの運動は自律神経のバランスを整えたり、前頭葉の機能を向上させ、扁桃体の機能を小さくすることに貢献します。④睡眠ストレス耐性を高めるためには安定した睡眠は欠かせません。その原因は、脳の血流と、セロトニンです。実は起きている間より眠っている時の方が脳の血流が多いと言われており、睡眠時間が少なければ、それだけ脳に老廃物(疲労因子)が溜まりやすくなります。できるだけ十分な睡眠を取り、ストレス耐性を高めるセロトニンの分泌を促しましょう。(セロトニンは腸内と脳に存在しています。)⑤マインドフルネスマインドフルネスは瞑想やヨガを用いたストレス低減プログラムというもの。瞑想やヨガ、ボディスキャン等を通じ様々な雑念が出てくる頭と心の中を整理、鎮静化することで落ち着いて物事を合理的に判断できるようになります。要は自分自身の思考の癖や感情の現れ方などに来づけるようになります。そうすることで視野が広がり、自分への自信を深め、ストレス耐性を深めることが出来るのです。自分自身がどんな時にストレスを感じ、どの程度感じているのか?それを知ることはとても大切です。現代人は誰しもが忙しいので、目の前のことを消化することでいっぱいいっぱいになりがちですが、ストレスを感じている時は身体のどこかが必ず反応を示しています。にも関わらず、それに気づかず放置したまま、ただただタスクをこなすことに邁進していっているのです。そうする内にストレスは大小問わず溜まって行き、自律神経が崩れていきます。その結果、病気や何かしらの疾患という形で身体が悲鳴を上げて、ストレスがキラーストレスに変化してしまい深刻な病気になることに繋がるのです。そして通院しなければならなくなったり、飲みたくない薬を飲み続けたりしなければならないのです。ちなみに、西洋医学的な薬を飲むという行為は症状そのものを緩和させるためだけの役割であって根本治療にはなっていません。根本治療をするためには「なぜそうなったか?」の原因をちゃんと突き止め、東洋医学的な要素を取り入れつつ、西洋と東洋のバランスを上手く取って治療していくことがベターです。ストレス耐性がある人はストレスに耐えるだけでなく上手に解消できる人ともいえるでしょう。気分転換を図る、重症になる前に専門医に相談するなど、早め早めの対策がストレスに悩まされずストレスと上手に付き合う方法なのかもしれません。 未だに日本では我慢することが美徳とされている風潮がありますが、何事もtoo muchはよくりません。皆さんのストレス解消法はなんでしょう?ぜひ友人や家族とシェアしてみてくださいね!もしかしたらそれが共有できたら楽しいし、相手の解消法が自分にとっての解消法になったりすることもあって、自分の中にその選択肢が増えることはいいことです。shun

マインドフルネスを選んだ理由

よく「なんでヨガじゃなくてマインドフルネスなの?」と聞かれる。確かにそう聞きたい気持ちも分かる。逆の立場だったら同じこと聞くかもしれない。でも、ヨガもマインドフルネスも目指しているところは同じなんです。ヨガの経典「ヨガ・スートラ」にはヨガの目的について次のように書かれている。ヨガは「心の動きを抑止すること」と定義され、心の動きをコントロールするさまざまな鍛練により、苦しみから解放されることを目的としている。マインドフルネスも同じ。マインドフルネスは五感を通して自分自身を支えている感性や知性を高め、自分と向き合うことで自分を知り、囚われを外し、人格や精神性を向上させることでありのままの自分の人生を生きることを目的としてる。『今この瞬間に全ての意識を注いでいる状態』とはその瞬間瞬間、常に五感が満たされた状態のことを言う。ヨガもマインドフルネスも目指すゴールは同じなのです。ただ異なる点を強いて言えばゴールにたどり着くまでの”プロセス”が異なると僕は考えます。ヨガは・・・アーサナを通して体の歪みが矯正されたり、柔軟性や体力が向上するなどの効果を体感することができます。そこに呼吸や瞑想を取り組むことで、集中力が高まり、強い精神状態を作りだすことができます。歪みが解消することで心身の不調は改善され、自然治癒力が高まったり、体全体が引き締まって整ったプロポーションを手に入れられるのはもちろんのこと、活力に満ちた前向きで穏やかな気持ちを得られることこそがヨガの特長といえます。マインドフルネスは・・・最初こそはマインドフルネス瞑想という瞑想方法で自分自身の思考の癖や感情の流れを洞察し、それに気づく訓練をします。(いわゆる雑念に気づいて価値判断を加えずに流す作業)これをこなせるようになると、五感を使った訓練に移ります。要はマインドフルネスの実践を日常生活に落とし込むのです。「大切なのはマットを降りてから」僕がレッスンで口癖かのようにいう言葉です。つまりは日常生活の中でもマインドフルな状態でいられるように普段の生活の中にマインドフルネスな要素を取り込んで行くのです。マインドフルネスはここに脳科学や心理学といった科学的要素を盛り込みます。心=脳です。脳が全てを作り出しています。脳が感情や思考を生み出し、行動を決めています。脳が心臓や胃などの臓器を動かし、各臓器や筋肉、神経、骨と連動させています。この全ての源となっている脳の仕組みに心理学や生理学、解剖学などの要素を盛り込むことで自分自身に対する理解を深めるのです。自分自身のことって分かっているようで実は全然分かっていなかったと、気づくと思います。自分の感情や思考がどのように生まれ、意思決定されているか?その仕組み、メカニズムを知るだけで自分自身に対する理解と世の中に対する見え方が一気に変わります。この瞬間こそが苦しみからの解放なのです。ヨガもマインドフルネスも「心」という目に見えにくいものを取り扱うので、とても繊細なもので、時に胡散臭いと感じられる人もいますが、ヨガや瞑想を取り入れることで感情が穏やかになる、メンタルが強くなった、体調を崩しにくくなった、身体が引き締まった・・・などなどいろんな恩恵を感じられる人も多いと思いますが、その恩恵がなぜ?どのように?身体の中で何が起こっているのか?を形にして理解させるのがマインドフルネスの良いところでもあります。人って不思議なもので「なんとなく」感じていることを「具現化する」とその体感や理解は一気に深まり、得たものは上辺だけの武器ではなく、その人の肉となり、血となり、魂となります。そしてそれがやがてはその人の知性や人格といったところに出てくるのです。僕がマインドフルネスを選んだ理由の1つはそんな少し理屈っぽいところが合っていたからです。これは男だからかもしれません。そのことが体感するスピード感が早かったから。(ヨガ自体は趣味で3〜4年前からやっていたけれども)そして結局はヨガも目指すところは”マインドフルな状態”なんです。そしてもう1つ。どちらかと言えばこの理由のが先行しているかも。『既に素敵なヨガの先生方が世の中には十分すぎるほどいるから。』です。マインドフルネスに出会う遥か前からヨガのイントラをしている友人はいたし、いろんなスタジオやイベントで色んな先生方のレッスンを受けて来たし、そんな中でマインドフルネスを教えられる先生ってほとんどいない。と気づいたのです。ヨガもマインドフルネスも目指すところは同じ。ただプロセスアプローチが異なる。であれば、自分がマインドフルネスを通して学んできたこと、ヨガの先生方がヨガを通して学んできたこと、お互い持っていないものを補い合って、力を合わせていけばより良いシナジー、新しい価値だったり、1人でも多くの人の支えになれるんじゃないか?むしろそうしたいと思ったのです。僕自身はヨガの勉強をイントラの資格を持たれている先生方ほど深くの知見はありません。でも、マインドフルネスに関してはどんな人よりも多くの鍛錬を重ね、勉強し、深めて来た自負があります。そして日々のpractice、知識のアップデートは今も怠っていません。だから僕からしたら世の中のヨガの先生方って尊敬の眼差しなのです。自分もレッスンでヨガを取り入れますが、まだまだ。この世界に入ってまだ浅いですが、日々色んな先生方とご縁をいただく機会があってその度に「この人すごいな」「尊敬できるところはこんなところだな」って感じてます。だからこそそんな先生方と手を取り合って行くことで日本の人たちを1人でも多く、マインドフルな状態にしていけると本気で思っています。まさに知識や経験、価値のシェア。人は一人でできることって限られてる。どうせ1回きりの人生。1分1秒でも長く笑顔でいたいやん。笑多くの人と喜びや幸せ、楽しさ共有できたら最高やん。誰かが苦しんでる時、悲しみに陥ってる時、1人でも多くの人がその人に手を差し伸べられる心を持てたら、それも最高やん。ヨガのことも平行して勉強して行くけれど、今はもっともっとマインドフルネスを深めていきたい。それらを先ずは自分自身に活かして、その上で必要としてくれる人たちに惜しみなくシェアする。だから今は禅寺にも通うし、次のステージへ向かう準備をしています。長くなってしまったけど、こんな感じです。正直、マインドフルネスでここまで世の中の見え方が変わるとは思ってなかった。世の中自体はそんなに変わってないかもしれないけど、心の仕組みを1つずつ丁寧に知ってアクションに移すことでこんなにも変わるのかと。。またどなたかとお酒をしっぽり飲みながら、ヨガやマインドフルネスのこと、サーフィンやHawaiiのことなど語り合えたら最高ですね!笑shun

マインドフルネスとは・・・?①

「マインドフルネス」と聞くと=【瞑想】と思われがちですが、本来はそうではありません。「マインドフルネス」+「瞑想」というのが正しい解釈で、「マインドフルネスの状態」を作るための1つの手段として「瞑想」があります。なので、マインドフルネスと瞑想は全くの別物です!ここの解釈を先ずは理解OKです?^^■じゃあ、マインドフルネスとは?マインドフルネスとは”気づき”です。気づくことで自身の囚われ(鎧)を外して行き、日々の生活をより穏やかに楽にして行きます。英語では”mindfulness”= mind(心、精神) / full(いっぱいにする、満たされている) / ness(状態)マインドフルネスを説明する上で切っても切れない話しがあり、それが脳。です。脳は普段「自動運転」をしています。つまりは何も考えなくとも行動することが出来ます。例えば・・・・・ベロベロに酔っ払っても家に帰れちゃったことありませんか?・家から最寄り駅まで特に考えずに行けますよね・お風呂に入ったり、シャワーを浴びたりも自然と出来ますよねなどなど、こういったことがまさに脳の自動運転です。日常生活のほとんどが何も考えなくともできちゃうのです。この働きをDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)といいます。実はぼーっとしている時もこのDMNは働いていて、何か思考をしている時よりもエネルギーの消費量が多く、結果脳疲労に繋がり、パフォーマンスの低下や感情のコントロールの非抑制に繋がったりします。この辺りの詳細はまた別途書きます。マインドフルネスはこの自動運転をやめて物事の本質に気づこう!という意味なのです。■マインドフルネスのABC1:Awareness(意識)「自分の行動に気づく」という意味。例えば、食事。テレビを観ながら、スマートフォンを触りながら食事をされている方、多いと思います。そんな「ながら」で食べているご飯、本当に美味しいですか?ちゃんと味わっていますか?テレビやスマートフォンに集中してしまっていると、ご飯を食べるという行為は自動運転になります。食事をすることに意識がないから現代人は食べ過ぎ、結果肥満や病を引き起こすのです。そうではなく、1つの行動ここではご飯を食べることに意識する。という事に気づこう。ということなのです。食べることに意識を注ぐことで1口1口をしっかりと味わい、日頃口にする食べ物がいかに彩り豊かに、美味しいものか。ということが分かると同時に野菜や穀物の生産者、ご飯を作ってくれた人(親やパートナー)に対して感謝の気持ちも自然と出てきます。そして、食べ過ぎを防ぎ身体に負担のかからない食事を身につけることが出来ます。2:Being(受け止める)これは「そのままの状態を受け止める」という意味です。マインドフルネスでは浮かんでくる雑念に対して否定も肯定もせずなんの価値判断も加えずにありのままの、そのままの状態を受け止める。ということを実践していきます。例えば、職場の上司に怒られたり、グチグチ言われていると怒りやめんどくささや色んな負の感情が出てくるかと思いますが、その気持ちを抑制しようとしたり、何かしらのジャッジメントを下すこともせず、そのままの状態を受け止めます。これ、出来るようになると本当に色んなことが一気に楽になります!もう「無」です。無。笑3:Clarity(明確にする)問題を分からないままにしておくのではなく、明確にする。例えば、マインドフルネス瞑想をしている時に様々な雑念が出て来ます。その雑念の内容は本当に様々で、その時の自分自身の状態によります。ある程度、マインドフルネス瞑想をしていると雑念の統計。みたいなのが取れて来ます。=自分の思考のクセ。その思考や感情のクセに気づいて、対処していくことが「自分と向き合う」ということなのです。ここでいう問題というのはまさに「クセ」と解釈してもらっても構いません。改めて、マインドフルネスは自分のやっていることを感情に左右されずにこの瞬間、そのままを客観的に受け入れることです。 湧いてくる感情も抑えずにそのままにして、その感情をただただ受け入れること。 これがマインドフルネスです。このマインドフルネスの意味をきちんと理解していると、瞑想以外でもマインドフルネスを実践することが出来ます。■瞑想以外でのマインドフルネスの実践①マインドフルネス・イーティング(食べるマインドフルネス)②マインドフルネス瞑想③マインドフルネス・ヨガ④マインドフルネス・リスニング⑤マインドフルネス・ウォーキング⑥マインドフルネス・ウォッチング⑦マインドフルネス・家事⑧マインドフルネス・ストレッチ⑨マインドフルネス・筋トレそれぞれの実践方法や解説は改めてするとして、お気づきの方もいるかと思いますが、マインドフルネスは1つのライフスタイルです。個人的にはヨガは「さぁ始めよう!」と時間を設けて実践するもので、マインドフルネスも最初は静かな場所でマットを敷いて、その上で瞑想を行うことからが会得しやすいですが、それが出来るようになってくると、日常生活(ライフスタイル)の中で実践、落とし込みができるようになります。マインドフルネスとは今行っている行為に気付き、判断せず、そのままの状態を受け止める。そして感情に左右されず、ありのままを客観的に受け止めるという意味。 そして、マインドフルネスは日常生活の様々な場面に隠れていいます。その中でとても相性が良いのがマインドフルネス瞑想やヨガがとっても効果的!shunーーーーーーーーーーーーーーーーー 〜マインドフルネスレッスンのご案内〜■開催日時:2019年5月25日(土) 9:00~11:00 / 13:00~15:00(2部制どちらかご都合の良い方をお選び下さい)■場所:PARATI KITAHAMA(〒541-0046 大阪府大阪市中央区平野町2-5-14 FUKU BLD.三休橋201号)    ※各線北浜駅、淀屋橋駅、堺筋本町駅より徒歩5分■持ち物:ヨガウェアなどの動きやすい着替え・ヨガマット・飲み物・筆記用具・タオル     (※更衣室有り、シャワールームはございません)■参加費:3,000円/名(※今回は専用のテキスト付)     当日受付時に現金にてお支払い下さい。お申込みはInstagramかプロフィールページ記載のメールアドレスよりお願いします!

ストレス社会に必要なこと

皆さんは日頃、1日の中で心と身体をオフにする時間を数分でも作っていますか?ストレス社会で生きる僕たち現代人にとって、1日の中で少しでも心と身体を休めて活力を取り戻す時間を作ることは必要不可欠だと思っています。そもそも「ストレス」という言葉は、もともと物理学において使用されていた言葉で、現在一般的に使用される外部的要因で引き起こされる自分自身の心身機能の変化。といった意味で使われているわけではありませんでした。それが1920年代に、心理学、生物学で現在の意味として次第に使用されるようになったそうです。健康、性的機能、人間関係、仕事、お金のこと、そして自分が何をしたいのか?誰なのか?自分自身への感覚などが失われてしまって、それが様々な病気につながることも往々にしてあります。ストレスを感じた時に人間の身体には次のような反応が起こります。①ストレスに対応するために必要なホルモンが副腎から放出される。 過去の記事「取れない疲れ・・・どうしたらいい?」を参照ください!②自立神経系の交感神経が優位になり、心拍数、血圧を上げ、覚醒状態になる。 筋肉の緊張は増加し、体は体温が上がり発汗する。 英語ではこの反応を「fight or flight response:戦うか逃げるか反応」という。 反対に、その時に必要のない消化、排泄、成長、修復、生殖などの 副交感神経が支配する機能は一時停止する。何千年も前の僕たちの祖先の人たちにとってのストレスの原因は、野生の動物(トラとかライオンとか)に食べられるから逃げるとか、戦うとかであって、その場合も体はさっき書いた今の僕たちの体と同じ反応をした。でも祖先の人たちの場合、動物が去り、逃げるか戦うかのアクションが終われば、体は落ち着いて正常な状態にもどる。原因はすぐに解決するものなので、ストレスに対して交感神経のON/OFFが簡単。でも、現代人は会社、家庭、人間関係、スマートフォンの普及のストレスなど、常に僕たちをストレスにさらしておくような条件が整いすぎている。言うまでもなく、このストレッサーはすぐに解決するものではない。多くの人がそれに気づかず、知らない間に蓄積されることである日爆発したり、病気になったりする。体がいつ交感神経を静めればいいのか分からなくなっていて、常に交感神経が優位になっている状態になっている。その結果、自立神経(交感神経、副交感神経)のバランスがとれず、自立神経失調症が起こる。副腎からは、常にストレスに対するホルモンが放出されつづけ、結果、体の再生能力は落ち、回復は遅くなり、本来持っている治癒力を失う。さらに高血圧、潰瘍、腰痛、免疫異常、生殖系の問題、鬱病、風邪を引きやすくなったりケガをした箇所の修復が遅くなったり・・・などの新たな病気を発生させる。ストレスに対する解決法、交感神経を静める状態の作り方はリラックスすること。リラックスとは「深く休息する」ことである。この休息は寝ている状態とは違う。寝ている時は筋肉など体の緊張が高まるのです。マッサージを受ける事、ビーチに行ったり自然と触れ合うこと、パートナーとスキンシップを取ること、旅行に行くこと、お酒を飲むこと、動物と触れ合うこと… 人によって様々はリラックス法があるだろうけど、何よりも何よりも大事なことは【呼吸】です。ゆっくりと安定した呼吸は、ストレス時に働く交感神経とは逆の休息時、消化器系に働く副交感神経が優位になり、体と心を穏やかな状態に持っていく。血圧を下げたり、動脈硬化や、心臓病の進行を防ぐなどの効果があることも証明されています。ゆっくりと安定した呼吸をすることで、ストレス社会の中で、いつOFFにしていいのか分からない身体や脳のセンサーが「休んでいいんだ!」という感じで交感神経を静めてくれる。お風呂に入っている時、職場にいる時、家のソファに座っている時、時間がある時いつでも目を閉じて2〜3分だけでも、自分の呼吸にフォーカスしてみましょう。■呼吸のエクササイズ(ナディショーダナ)とっても簡単です。流れとしては・・・「左から吸う→止める→右から吐く→右から吸う→止める→左から吐く」止める秒数は、最初の1セットは1秒程度にし、通常時は10~15秒程度にします。

ヨガとマインドフルネス、その思い。

In these sparkly sunny days, or in the middle of this stormy weather, the leaves sit on the branches enjoying the sun, the air and assisting the tree in its growth.When autumn comes, the leaves let go of the tree, landing on the soil gracefully. They decompose become one with mother earth humbly and quietly supporting tree in a different way.The leaves embrace the cycle gracefully and peacefully, never worrying about the next step or the past.What if the leaves possess human mind? They will compete with each other and fight to climb up to the top the tree so that they can become the best performing leaves.As autumn comes, they hold tight onto the branch thinking how the tree can not survive without them.Just like most of us, we underestimate our forte and exaggerate our shortcomings. We hold on to our glorious side and deny our dark side.May we learn from the leave to fully embrace who we are each moment doing our best without holding on to the results.Mindfulness is the cultivation of equanimity and awareness Equanimity refers to being receptive and open to what is within and around us.Equanimity has to be mastered from within.When our mind finds its balance regardless of the external events, then we know we are equanimous.Our emotions hit us like a storm at times.Emotion is simply a reflection of the state of mind.If the bodily sensation is the language of the physical body, then our emotion is only the language of the soul.Emotion itself is neither good nor bad.The more we deny our emotions, the more we strengthen them.But letting our emotions to be there, our mind slowly goes back to its equilibrium.Our body always shows us the truth. Even though our emotions are abstract and intangible, the emotion show themselves through the physical sensations. Our thoughts can trick us, but our feelings and physical sensations never lie.When we are upset, certain parts of the body turn us and the rhythm of breathing changes.So, to cultivate equanimity our practice is to go back to our body observing the sensations and breathing.By doing so, less attention is paid in the thoughts. As a result, we no longer feed our emotions and the mind can find its own equilibrium. I bow to be mindful of the intention behind my thoughts, my speech and my actions. Thanks to the Yoga and the mindful practice, I have become so much more aware of who I am. Of how much more love I could have for myself and others. I practice to embrace all the pleasant and unpleasant experiences in my life knowing that they are all lessons and blessings.May your practice assist you to realize the love within you and the love within others. May we practice together diligently.

何事にも囚われないということ。

禅の言葉の中に『両忘(りょうぼう)』という言葉があります。『両方の極端を忘れる』=こだわりを持つことを捨てなさい。という意味になります。ただ、言葉の表面上だけを捉えて両方のことを忘れてしまう。とは捉えないでください。でもちゃんと意味を知れば、日々の生活、日々の行動に自信が持てるようになります。人間は常に物事を判断する時に、どちらか一方に偏って判断することが多いですよね?例えば・・・「これがダメなら、これ」「右か、左か」「好きか、嫌いか」「男か女か」「楽しいか、楽しくないか」「白か黒か」などなど。。。人って何事においてもハッキリと決めたがる性質を持っていて、日本の学校教育ではずっと「正解は何か?」と迫られる教育ですよね。だから何か差し迫った状況の時に選べるものが2つしかなかったら、どちらからしか選ばないのです。でもね、冷静になって考えてみてください。実際、世の中を広く、俯瞰して見てみると2つあるうちの一方からしか選ばないというのは、その都度、自分の狭い視野の中で見ている1つの考え方でしかないんです。この両忘というのは、自分が決めている1つの選択(右か左か、東か西か、好きか嫌いか・・・など)を取っ払って見ることによって、囚われを捨てることが出来る1つの境地。ということです。「そうは言ってもさ、なかなかその様なレベルに行けないのが人間やん!」って思いますよね。笑はい、僕もそう思います。笑じゃあ、どうしたらいいか?答えは、「両方を忘れるのではなく、両方を徹底的に考える!」です。仕事でも恋愛でもプライベートでも・・・人生には常に2つの選択肢の繰り返しで成り立っていますよね。朝だってそう。「起きる」か「起きない」かは毎日、自分の選択ですよね。こういった時に、どちらかに囚われてしまう。というのは良くないこと。なぜならば、第3の道(選択肢)があるかもしれないから。なんです!日頃から迫りくる2つの選択に対して、考え抜く。ということです。例えば、森の中で迷ってしまったとして、目の前に2つの道があったら当然のように誰だって良き道を選びたい。と思いますよね。でも、この時に「こっちを選んでしまって、違っていたらどうしよう?」と考え始めると、脳の中で反芻が起こり結果、囚われることになり、前に進めなくなってしまいます。なので、この2つの道を徹底的に考える。ということをして欲しいのです。「こっちの道を選んだら、どうなるんだろう?」とめちゃくちゃ考えるんです。(こっちに行ってみたら?こっちを取ったら?という事を日常生活の中で考えまくる。)これを日頃からやるように繰り返していると、どちらにも囚われない。という世界になって来ます。(いざという時ね)そして、極めて合理的に物事を判断できるようになります。過去の自分自身の経験値に基づいて、統計的に判断することができ、「こっちを選べば、有利かな」「こっちに行ってもしダメだったら、リスクを負うぞ。そしたらこういった事象が起こるだろう」といった覚悟ができ、1つの道に進むことができます。両方を忘れる。そのことによって第3の発想を呼び起こし、自分の迷いや囚われをなくして、物事を見る。ということができるようになります。2つの道を同時には進めませんよね?^^;日頃から2つの可能性を検証する習慣を身につける。このプロセス自体が自分自身の経験値、そして成長にもつながるし、常に目の前の選択肢以外の第3の視点から新しい発想を得られるようになります。禅の言葉は人によっては「曖昧だ!」とか「漠然としている!」とか言われますが、そうではなく、禅は立派な行動科学の1つです。合理的に自分の人生の選択をより良きものにするためにとても大切な考え方の1つだと僕は思っています。『両忘』ある意味マインドフルネスの本質を突いた禅の言葉。ぜひ皆さん、どちらか選ばなければいけない状況の時にこの言葉を思い出してください^^shun

自分の使命を見つけるために

こんにちは!全国各地で桜の開花宣言の便りが届き、いよいよ春到来ですね。とは言え、昼と夜の寒暖差が激しいので体調管理はくれぐれもご自愛くださいね。さて、今日は『使命』についてです。よく「天職を見つけたい」といったことを相談されるのですが、その回答にも通ずるものです。誰だって「天職を見つけたい」とか「使命を見つけたい」「天命を見つけたい」と思うことがあるでしょう。特に社会に出て、30〜40歳になる方々は仕事や私生活の中で次のステージ、刺激を求めるようになる頃だと思います。「何かもう1つ、一生懸命になれること、熱く打ち込めることがしたい!」「やれるなら今!」という感覚が出てくる時期です。これは日々一生懸命仕事をしている皆さんにとっては当然の気持ちです。でも、使命や天命は見つけようとして見つかるものではありません。例えば恋愛の話しに置き換えると分かりやすいかもしれません。パートナーが欲しくて、無理やりこじつけのように手に入れてもそんな恋愛は長続きはしません。使命も同じことが言えます。また、「目標達成=使命」ということでもありません。もちろん「使命を持って生きたい!」と思う姿勢は素晴らしいことです。だからこそ、使命や天命を持ちたい!という人にお伝えしたいのは、使命・天命を見つけたければそれらをいったん忘れること。これに尽きます。その上で、使命・天命を見つけるために大切な2つのことをお伝えします。①一切の固定概念を捨て、仕事、プライベート問わず   全てに対してオープンになって受け止める。 「好きとか、嫌い」「やったことある、ない」「できる、できない」 そういった固定概念。降り掛かってきたことや、投げかけられたこと、 様々な課題や仕事に対して全てオープンにして受け止めること。 「No」と言わずに自分の枠を取っ払ってオープンになることで世界が広がります。 「自分にはいつもチャンスが来ない」という人は、運が悪いのはではなく 自分自身の心の状態が「受け入れる!」という状態になっていません。 かと言っていつでも何でも受け入れるかと言えばそれもまた別なんだけど。笑 気持ち、姿勢の問題せ「そういう度量」を常に持っていないと、 いつまでたってもチャンスというものはやって来ません。 自ら安定というものを崩して行き、周囲に困っている人や悩んでいる人がいたら 自分が少し頑張ることで役立てることは積極的に声をかけてやっていく。②身の回りや社会で起こっていることを自分ごとと関心を持つこと 世の中には2種類の人間がいます。 1:身の回りで起こることを『他人ごと』と思って生きる人 2:身の回りで起こることを『自分ごと』と思って生きる人 前者の人は関心を持っていないのでアンテナが立ちません。 それ故にその人にとって本来必要な情報や人、できごとが入って来ません。 後者の人は、自分ごとだと思って生きていると、世の中で起こっている様々なことが 全て繋がって問題を引き起こしている、それと自分が無関係でないと分かってきます。 (政治や経済、事件、教育、福祉、ビジネスなど全て) それが分かってくると、色々なところに自分のアンテナが立つようになります。皆さん、例えばこんな経験ありませんか?それまで興味のなかったベンツの車。何かがキッカケで欲しいと思った途端、街なかでベンツの車をよく見るようになった。ベンツでなくとも「◯◯が欲しいな」とか「〜が気になるな」と何かを意識した途端自分の周りでそれに関わるものが急に出てくるようなこと。これを心理学ではカラーバス効果といいます。そう、「チャンスがない」「使命、天命が見つからない」ではなく、実際には既に色々あるのに、そのことに気づいていない、見えていない、もしくは自分に言い訳して無意識レベルで見ないようにしているだけなのです。世の中で起こることや周囲の人、モノ、ことに関心を抱いてみてください。自分の使命や天命は何も自分の好きなことや得意なことから見つかるとは限りません。世の中をしっかり観察し、人々や社会が何に悩み、困っているのかをぜひ見つけてみて下さい。