みなさん、タイトルの”嫌われる勇気”という本、読んだことありますか?
読んだことなくても、タイトルは聞いたことある。という人もいると思います。
僕はこの夏頃に初めて読んだのですが、その当時の感想は正直言うと
なんて傲慢な!冷たい!!
と思い、文章1つ1つがスッと自分に入って来なかったのが正直な所。
(言ってることは分かるんやけどね。分かるんやけど・・・笑)
だけど、ここ数日改めて読み返すと、夏頃に読んだ時とは違う印象を受けました。
素直に読むことができたんですね。
「人に好かれたい・・・」
誰もがそう思うだろうし、人は承認欲求の生き物です。
でも、この欲求ばかりに囚われた生き方は、
結果的に自己否定につながり、相手に評価されない、幸せになれない人生で終わるだろう。
そんな価値観を提起してくれたのが「アドラー心理学」です。
アドラーは「周りに起こる物事の見方(解釈)」を変えるだけで、全ては良い方向に変わると言います。
つまり、自分を変えたいなら、物事の見方(解釈の癖)を変えること。
親や友達、パートナーに嫌われるのが恐い、好かれたい。
そんなしがらみに絡まって人生に苦しむ方にはこの本は本当にオススメです。
で、ここからはネタバレになりますが、
アドラー心理学のいくつかの原則から、要約してみたいと思います。
◆全ての悩みは対人関係が原因である
アドラーは「個人の中だけで完結する悩みは存在しない」と言います。
その証拠に「孤独の悩み」すら、他者がいるからこそ発生する悩みです。
つまり、自分が抱えている全ての悩みは「対人関係」が起因しているということ。
そのため、悩まない自分になるためには「相手への解釈を変えること」が解決策だと言います。
物事の見方が変われば、人の思考や行動は変わります。
◆劣等感やコンプレックス、不安などは幻想にすぎない。
劣等感は、自己実現にブレーキをかける最大の阻害要因。
劣等感を持っていない人は存在しないほど、全ての人々が苦しんでいる「心の病」です。
でも、アドラー心理学では劣等感を否定しません。劣等感は人間の努力や成長を促すエネルギー源になると考えているからです。
ただし、アドラーは「正しい劣等感と誤った劣等感」があると唱えています。
「理想の自分」になるために、まだ不足している部分があるという解釈は「正しい劣等感」。
でも、他人と比較して、自分が劣っていると解釈することは「間違った劣等感」だと戒めます。そして、それを言い訳に努力や成長を止めている行為を「コンプレックス」と定義しています。
後者に当てはまる人は、自分を他人と比較するという思考癖を変えることが急がれます。これが、あなたから憑いて離れない、誤った劣等感とコンプレックスを打ち消す処方箋です。
ではどう解釈すれば、他者との比較によって起こる「誤った劣等感」から解放されるのか?
◆相手は競争相手ではなく仲間
繰り返しになりますが、自分を阻害する「誤りの劣等感」は、他人と比較することで発生します。これは「自分にとって他人は競争相手だ」という解釈していることが原因です。
自分自身が「他者=競争相手」と解釈し続けるかぎり、対人関係の悩みから永遠に解放されることはありません。競争を意識してしまうと、世の中が自分にとって競争だらけの危険な世界に見えてくるからです。
アドラー心理学においては「他者=仲間」と無条件に解釈することを提言しています。
競争相手ではなく仲間だと見方を変えるだけで、この世は自分にとって安心できるフィールドに変わり始めます。
◆本当の自由とは承認欲求から解放されること
人は「自分には価値がある」であることを確認するために、他者からの評価を求める本能が備わっています。これを「承認欲求」と言います。
しかし、他者の評価を重んじるほど「他者=競争」の解釈が強化され、劣等感やコンプレックスが深まり、心の自由から遠ざかってしまう負のスパイラルに陥ります。
そこで、アドラーは「課題の分離」という考え方を提唱しています。自分に対する他者の評価や信頼は「他者の課題」であり「自分の課題」ではないと解釈するのです。
もう少し分かりやすく言うと、課題の分離とは「自分にコントロール可能なこと(自分の課題)」と「自分にはコントロール不可能なこと(他者の課題)」を明確に分ける技術です。
たとえ、自分に対する他者の評価や信頼が思わしくなくても、それは自分の課題ではないと解釈し、自分の課題だけに一生懸命、取り組むだけでいいのです。
そうすることで、誰からにも束縛されない「本当の自由」が手に入り、結果的に自分本来の能力が発揮し、やがては良い循環が始まります。
◆嫌われる勇気こそ人に好かれる極意
ここで誤解してほしくないのは、嫌われる勇気とは「他人に嫌がられる行為」をすることではないということ。悪口や誹謗中傷など、普遍的な道徳やルール、法律を破ることなどを放棄することではありません。
アドラーは、他人の評価による「承認欲求」を基準に生きるのではなく、理想の人生を実現するために何をすべきかと言う「自分の基準」に生きることを推奨しています。
他人の評価なんて様々。すべての人から好かれるなんて先ずありえないこと。
逆に全員から好かれようなんて思っている間はいつまでも不自由なまま。
世界のマクドナルドや、コカコーラだってすべての人に好かれているわけではない。
(僕はモス派!私はペプシ派!!って言う人もいるし)
でも、人間にとって承認欲求は本能なので、この欲求が満たされないと苦しいのも事実。
(その事実に先ず気づいて、認めてあげることも大事。自分自身に対してね。)
そこでアドラーは、自分の価値を実感するために「共同体感覚」を持てと言います。
共同体感覚とは「自分は社会に貢献している」と実感することを言います。アドラーは、
この共同体感覚を実感するためには「他者貢献」を持って生きよと提言しています。
他者貢献とは、具体的に言うと「仕事、ボランティア、趣味、子育て」などがそうです。
人間にとっての自己実現とは「他者に貢献できる自分になること」とイコールです。つまり、共同体感覚を持つことで、結果的に承認欲求が満たされ、人間の欲求の中で最も上位である「自己実現」も達成します。
ただし、ここでも「承認欲求」を意識しないことが大切です。アドラーは全ての人間関係を「横の関係」にすることを提唱しています。人間関係に上下をつけず、他人を常に対等でフラットに見るのです。
具体的に言えば相手の反応を意識しない。ということです。
例えば、あなたがパートナーでも子どもにでもご飯を作るとします。
当然、「美味しい!」と言ってもらえたら嬉しいですし、作ってる方もパートナーや家族が美味しいと言ってくれることや、美味しそうに食べてくれたらいいな。もしくはそんなことを想像しながら作ると思います。
でも、そのご飯が美味しいかどうかは相手が決めることであって、
作り手が、食べる人がどう思うかをコントロールすることはできません。
どれだけ頑張って作ったとしても不味いものは不味いし、美味しいものは美味しいのです。
そんな反応を気にしていたら自分が保ちません。
だから、自分が誰かのためにご飯を作っている。(貢献している)
それだけで良し!とするのです。(「今日もよく頑張った!」とか)
そうすることで、承認欲求を意識する癖がなくなり、純粋に他者貢献や自己実現に突き進むことができます。
お節介の人がそうかもしれません。お節介の人(世話焼きな人)は相手の反応をイチイチ気にしていないことが多いです。
「自分が(誰かのために)世話をする」それだけで幸福感(自己肯定感)を得ているのです。「自分が良かったら、それでよし!」ちょっと自己中心的に見えるかもしれないけれど、でも実際はそうなのです。
(これも捉え方(解釈)次第。笑)
アドラー心理学をもとに、過去や現在起こっている出来事に対する解釈を変えるだけで、嫌われる勇気が持つことができ、自由で心地の良いの人生を送ることができます。
これからも「悪い解釈」によって、誤った劣等感やコンプレックスを育て、悩み多き人生を送りますか?それとも「正しい解釈」によって理想の自分を育てていきますか?
どちらを選ぶかは今この瞬間を生きる、自分次第です。
気になった方はぜひ、本読んでみてください!
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