■特定非営利法人笑顔プロジェクト~つながろう東日本~
https://www.facebook.com/egaoproject2011/info
被災地に笑顔を届けるために、長期継続的に活動しています!
ぜひ、応援&ご協力お願いします
2年前の今日、未曽有の震災が東北地方を襲いました。
3月11日、今日で東北の震災から丸2年。
なんだか、あっという間です。
阪神大震災の時、幼いながらも当時の事は結構覚えていて、
怖くて、ひたすら泣きまくって両親の傍から離れなかったのを覚えています。
2年前は千代田区にある会社で働いていて、社内で顧客の電話対応をしている所でした。
電話を切った瞬間、それは起こりました。
ゆっく~りと横に大きく。
どんどんおっきくなっていく。
揺れが増すにつれて、天井や壁から軋む音が聞こえ、天井が一部落ちて来ました。
即業務停止。全社員、屋外へと階段を使い避難しました。
その後、各々帰宅。
当時、練馬に住んでいて、そのエリアに住む社員の方々と固まって歩いて帰りました。
6時間近くかかりました。
途中、お台場の火災の黒煙が防衛庁の辺りまで流れてきたり、
お墓が崩れていたり、ビルのガラスが割れていたり・・・。
バスやタクシーを待つ人で池袋駅前はとんでもない人の数でした。
帰宅後は家電製品も倒れてたりしてたので、整理。
近所の西友では2週間ほど、食品や日用品も手に入らない状態が続きました。
東北の方の事を考えると、こんな事言うと弱いかもしれませんが、結構、滅入りました。
目に見えないストレスと闘いながらの事、ある日、小包が2つ届きました。
それは大阪からでした。
その小包を開けると、ダンボールびっしり詰められた日用品と食品。
大学時代の同級生と、サークルの後輩が何も言わず送って来てくれたのです。
これには本当に、ビックリ&嬉しすぎて、涙を流しました。
大げさかもしれないけど、僕はこの2人に助けられた。
自分がこの2人からしてもらったように、自分も誰かにとっての支えになりたい。
そう思って、大船渡市に向かいました。
向かった時には、友人1人が既に亡くなっており、その3ヶ月後にもう1人の友人が亡くなりました。
その時は涙が出ず、出たのは数日立った後でした。
被災地に踏み込んだ最初の印象は、言葉では言い難いです。
「同じ日本?異国じゃないの?」そう思いました。
被災地に足を運んだ事で、より震災の事を考えるようになりました。
「自分ができることって何?」
「その場その場で出来ることってなに?」
”ふんばろう東日本”で物資の支援。募金の活動。
そして、昨年、友人の紹介で出逢った浅間さんが運営する、笑顔プロジェクト
記事の冒頭にも書きましたが、笑顔プロジェクトはプロのカメラマン・ヘアメイク、モデル・タレント・スポーツ選手などが中心となり、被災地に笑顔を届けるために活動しています。
これまで、関東・東北を中心にたくさんの方々のご協力を頂きながら、
写真展を開催したり、被災地でのイベントを開催させて頂いたり、
少しずつでも、着実に笑顔を届ける活動をしています。
継続して、より多くの笑顔を届けるためにも、皆さん1人1人の力や知恵をお借り出来ればと思います。
■ご支援・ご寄付について
http://lafestainc.sakura.ne.jp/smile/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E9%87%91%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/
また僕自身、故郷でもある関西で何か出来ないか?といつも考えております。
西宮のステンドグラスのお店の方からのご協力、長田での支援...
東北の震災は、東北だけの問題ではなく、日本全体の問題だと思います。
その問題を1つでも減らしていけるよう、1人でも多くの方が笑顔で過ごせるように...
自分自身にもいつ訪れるか分らない死。
いつも感謝の気持を持って、過ごして参りたいと思います。
俊
https://www.facebook.com/egaoproject2011/info
被災地に笑顔を届けるために、長期継続的に活動しています!
ぜひ、応援&ご協力お願いします
2年前の今日、未曽有の震災が東北地方を襲いました。
3月11日、今日で東北の震災から丸2年。
なんだか、あっという間です。
阪神大震災の時、幼いながらも当時の事は結構覚えていて、
怖くて、ひたすら泣きまくって両親の傍から離れなかったのを覚えています。
2年前は千代田区にある会社で働いていて、社内で顧客の電話対応をしている所でした。
電話を切った瞬間、それは起こりました。
ゆっく~りと横に大きく。
どんどんおっきくなっていく。
揺れが増すにつれて、天井や壁から軋む音が聞こえ、天井が一部落ちて来ました。
即業務停止。全社員、屋外へと階段を使い避難しました。
その後、各々帰宅。
当時、練馬に住んでいて、そのエリアに住む社員の方々と固まって歩いて帰りました。
6時間近くかかりました。
途中、お台場の火災の黒煙が防衛庁の辺りまで流れてきたり、
お墓が崩れていたり、ビルのガラスが割れていたり・・・。
バスやタクシーを待つ人で池袋駅前はとんでもない人の数でした。
帰宅後は家電製品も倒れてたりしてたので、整理。
近所の西友では2週間ほど、食品や日用品も手に入らない状態が続きました。
東北の方の事を考えると、こんな事言うと弱いかもしれませんが、結構、滅入りました。
目に見えないストレスと闘いながらの事、ある日、小包が2つ届きました。
それは大阪からでした。
その小包を開けると、ダンボールびっしり詰められた日用品と食品。
大学時代の同級生と、サークルの後輩が何も言わず送って来てくれたのです。
これには本当に、ビックリ&嬉しすぎて、涙を流しました。
大げさかもしれないけど、僕はこの2人に助けられた。
自分がこの2人からしてもらったように、自分も誰かにとっての支えになりたい。
そう思って、大船渡市に向かいました。
向かった時には、友人1人が既に亡くなっており、その3ヶ月後にもう1人の友人が亡くなりました。
その時は涙が出ず、出たのは数日立った後でした。
被災地に踏み込んだ最初の印象は、言葉では言い難いです。
「同じ日本?異国じゃないの?」そう思いました。
被災地に足を運んだ事で、より震災の事を考えるようになりました。
「自分ができることって何?」
「その場その場で出来ることってなに?」
”ふんばろう東日本”で物資の支援。募金の活動。
そして、昨年、友人の紹介で出逢った浅間さんが運営する、笑顔プロジェクト
記事の冒頭にも書きましたが、笑顔プロジェクトはプロのカメラマン・ヘアメイク、モデル・タレント・スポーツ選手などが中心となり、被災地に笑顔を届けるために活動しています。
これまで、関東・東北を中心にたくさんの方々のご協力を頂きながら、
写真展を開催したり、被災地でのイベントを開催させて頂いたり、
少しずつでも、着実に笑顔を届ける活動をしています。
継続して、より多くの笑顔を届けるためにも、皆さん1人1人の力や知恵をお借り出来ればと思います。
■ご支援・ご寄付について
http://lafestainc.sakura.ne.jp/smile/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E9%87%91%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/
また僕自身、故郷でもある関西で何か出来ないか?といつも考えております。
西宮のステンドグラスのお店の方からのご協力、長田での支援...
東北の震災は、東北だけの問題ではなく、日本全体の問題だと思います。
その問題を1つでも減らしていけるよう、1人でも多くの方が笑顔で過ごせるように...
自分自身にもいつ訪れるか分らない死。
いつも感謝の気持を持って、過ごして参りたいと思います。
俊
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