これからのこと。

前回、来月7月に上京する事をご報告致しました。

今日は、東京で何をして行くのか。を綴ります。

結論から言えば、”キャリアコンサルタント”として働く事になりました。
ピンと来ない方は、他に言い換えれば、
●キャリアエージェント
●キャリアアドバイザー
●キャリアデザイナー
●キャリアコーディネーター

とか色んな言い方があるので、
どれかであればピンッと来る方もいらっしゃるのではないのでしょうか。

簡単に言えば就職や、転職など何かしらキャリアアップを志望する方に対して、
その支援・斡旋をする仕事です。

これは自分のやりたかった事の1つです。


だから、「仕事」ではなく「志事」

そして、この仕事をしたいと思った理由はいくつかあります。

1つに前職での経験。
そして、関西に戻って来た時に出逢った1人の友人です。

幼い頃から、広告業界で働く家系環境にいたため、
物心着いた時から漠然と「広告の仕事がしたい」と思い描いていました。
それは、今も変わりません。

ただ、新卒で広告業界を中心に受けていましたが、
ご縁がなく、4回生の秋ごろに採用を頂いたIT関連の企業に入社しました。

そこで、様々な経験をさせて頂きましたが、
前回のblogにも記した通り、どうしても解決出来ない点があり、
その結果、心身を壊し、休職後に退職致しました。

飯田橋の駅で通勤途中に倒れ、気が付けば病院のベッドの上。
診断結果は最初、受け入れがたいものでしたが、事実は変えられないので、
ゆっくりではありますが、受け入れるようにしました。

そして、後ろ向きな考えが徐々に前向きに変わり、
「この経験を誰かのために活かす事は出来ないか?」と考えるようになりました。
ただ、すぐには答えは見つかりませんでした。
でも、考えないよりかは、常に考え、動き続ける事で必ず答えは見つかると言う事を信じていました。

その後、関西に帰りしばらく与えられた自由な時間を、
たくさんの人に逢う事に費やそうと思いました。

1ヶ月で名刺が100枚以上出たこともありました。

出逢う人、出逢う人みんな活き活きと輝いていて、
人生楽しそうにしていて、3歳~80歳くらいと幅広い世代の方々と交流しました。
先輩とか後輩とか、年齢関係なく1人1人から学びや、気付きがたくさんあって、
人と出逢うたびに、自分のやりたい事やなりたい自分がどんどんと増えて行きました。

そうする事で、自分自身の日常が活き活きとし出した感覚は今でも忘れていませんし、
それは今も実感しています。

そうこうしてる内に、前職での自身の経験を活かしたいと思い、
心理カウンセリングに関するスクールに通い、心理アドバイザーの資格を取得しました。
それが昨年の9月の事です。

ただ、その時はカウンセラーになるつもりとかはなく、
資格を習得したのも、ただ資格が欲しいんじゃなくって、自分がどこまでそれを理解していて、
なおかつ、日常に落とし込めるか、判断したくて受けたもの。


日々、マスメディアから発信される日本の労働環境の酷さ。
若年層の離職率の高さ(自身も含まれますが…^^;)
就職活動に失敗する学生や、中間管理職の方の自殺が多い現実。

日々、街を行き交う人々。
みんな口を真一文字に結び、眉間にシワを寄せて、暗い顔で歩く。
一方でヨーロッパやアメリカ圏では、陽気に楽天的に働く人が多い。
僕自身、過去の海外経験や、大学が特種な大学だった事もあって、
日々の生活で日本と海外をどうしても比較してしまい、
その度に海外の環境を羨ましく思う事が多々あります。

日々、色んな現実を見せつけられる度に、
「どうにか出来ないかな」と思いました。

自分が関西に戻って来た時に出会った社会人団体、
「White Canvas」ここのミッションに強く共感していた事もあり、
日々、たくさんの人と出逢い、被災地での支援を通して感じた事もあり、

1人1人が本当に輝ける場所は必ずある。

そう確信を抱くようになりました。

そして、その時にリンクしたのが学生時代に大学のキャリアセンターより
要請を受けて行なっていた後輩たちへの就職支援でした。

直感的に「これだ」と思いました。

そこから情報収集をし、「人材」に辿り着きました。

ただ、トラウマもあり、”正社員”として働く事に少しの抵抗がありました。
しかしその時に自分の背中を押した出来事が、

■両親との衝突
■従兄弟の結婚


この2つでした。

前者は完全に僕を心配してくれての事。
今でも両親の前で素直になれない自分が情けなく思うのですが…。
後者は生まれて初めて式から出席したのが従兄弟の結婚式でした。
しかも、奥さんも2人が付き合う前から知っていてとても良くしてくれて、大好きな人。

とっても感動して、2人の幸せそうなのを見て、
「自分もこんな2人のようになりたいな」って思いました。
しかし、現実自分の置かれた状況を見ると、
そんな結婚なんて、遠い先の話しになると気付きました。
(その前に相手を見つけないといけないのですが。笑)

両親との衝突が僕の心のストッパーを外し、従兄弟の結婚が心を浄化してくれました。

現実にしっかりと想いを馳せ、その上で未来を見る。

父親やキャリアアドバイザーの方からの
「転職活動はかなり苦労する事になる。長期戦になる。」と言われ、ある程度覚悟はしていました。

実際、書類審査の段階でかなり落とされました。
・離職期間が長いこと
・病を患っていたこと

日本社会では受け入れられにくい条件が完璧なまでに自分は揃っていました。

面接まで進めたとしても、前職での事を話すと、
あからさまに、面接官の顔は歪みました。

それでも、自身を偽ることなく、そして背伸びせず、飾らず。
ありのままの自分で挑むスタンスは崩しませんでした。

何より、
「何がなんでも、諦めない」
常に、そう自分に言い聞かせていました。

与えられた試練。

この壁を乗り越えることで、同じ境遇の人の力になれる。
今、自分のしている事が、必ず他の人のためになる日が来る。

どれだけ断られても、思ってた以上に余裕を持って、楽観的に取り組めました。
そして、企業に合わせに行くのではなく、「やりたい事」「なりたい自分」
いい意味での自己主張をハッキリ出来た事や不安や焦りを感じずに余裕を持って取り組めたことが、勝因なのかなと思います。

さすがに、東京と大阪を行ったり来たりな生活だったので、
フィジカル的にはキツイなーと感じた事はありますが(仕事しながらだったので)
メンタルが挫ける事はありませんでした。

むしろ、前職での経験、そしてそれを乗り越えた自分を精一杯褒めて、讃えて、
自信にしていました。
その経験、プロセスがあったかたこそ、ビジョンが明確になったのも言うまでもありません。

そして、日本社会に受け入れられにくいリスキーな自分を採用して下さった社長始め、
社員の皆まさには心から感謝申し上げます。

入社予定の会社はただ職業斡旋をするだけでなく、
求職者や企業に対しての●研修●教育といったマネジメント全般や、
学生に対してのキャリア・コンサルティング、
また、求職者と一緒に現場に入り、更なるキャリアアップの支援と言った、
幅広いタスクに携わります。(出向あり)

経験と出逢いは何にも代えがたい大きな財産。

無知、未経験な分野に、不器用な自分が挑むのだから、
きっとまた苦労ばかりで、理不尽な事にも出くわすでしょう。
でも、それでいい。
若い時代は苦しい思いをたくさんする。
だから、それでいい。
その苦しみがいかに自分の成長に繋がるか。
その事に後で気づける。逆に苦しまなければ、成長は小さい。
その意味においても、悩んでいいし、苦しんでいい。それが、青春。

苦しい経験、日々思い悩む経験と言うのは、直感を磨くための重要なプロセス。
苦しければ、苦しいほど、直感は磨かれている。


かなり長くなりましたが、そんな感じです。
この仕事はあくまでも通過点。

自分1人の力じゃ出来る事は限られているけれど、それでも1人ずつ着実に、
自らに触れた人が、何かを感じ、気付き、その事がキッカケで、
その人の向こう側にいる人を幸せにしてくれたら、
それが、僕にとっての幸せです。

他にもやりたい事はあるし、それはまた次回綴るとして、
先ずは次のステージで、人としての基盤を創り、自らを高めようと思います。

僕のビジョン。

人を幸せにする人を創る
―Communication Designer―



Me ke Aloha


from:shun

Shun Oshima

マインドフルネス指導者 l フォトグラファー 12歳の時に訪れたイギリスをきっかけにカメラに触れるようになる。 フリーで写真家としてヨガやウェディング、イベント、ポートレート、風景など様々なジャンルの撮影をこなす。 また、全国でカメラワークショップも開催。 その他、マインドフルネス指導者としても活動に取り組む。

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Shun Oshima

マインドフルネス指導者&フォトグラファーとして活動中。

■マインドフルネスインストラクターとして
脳科学や心理学、生理学、禅といった様々な分野を通して、マインドフルネスを学び日本国内にてパーソナルレッスンを中心にその人に応じたオーダーメイド型のレッスンを展開。
また不定期にグループレッスンも開催しており、
マインドフルネスを1人でも多くの人に伝えることで、
日々の息苦しさや、その人が持っている目標(ビジョン)の達成のサポートに取り組んでいる。

■フォトグラファーとして
ウェディングや風景、ポートレート